生きていると「こんな人生、やっていられない…」と思うことはよくある。
幸せは、<流れ星>のように、あっという間に消えていく。
ほんの一瞬。
次の<流れ星>は、一体いつ来るの?と待っても、そう簡単にやって来ない。
幸せな時期は、たとえ存在しても、線香花火のようなもの…。
この世の中に幸せな人はいるのかと思ってしまう。
一般の男性であれば、<飲まずいられない>という衝動にかられることは少なからず、一生に何度かある。
一度もないと言えば、嘘になる。
一度くらいなら…いや、少なくとも数回は…。
待合室の一角で、ある人が耳にイヤホンで音楽を聞いている。
まもなく、彼の順番が廻ってきて、
「Please Come in」
そして、何気なく「何を聞いているの?」と尋ねると、
「<人生に酔いしれる>音楽…」。
「人生に酔いしれる?どういう意味?」と質問する。
「先生、知っている…Too Sweet…先生は、知っているわけないよね…」とたどたどしい日本語で聞き返してくる。
私は、
「知っている…アイルランド出身の人が作った曲…今年のBEST ONEのひとつ」
「先生、本当に知っているの?」と疑いの眼差しを私に向ける。
今年春にリリースされ、米国、英国などの数多くの欧米諸国で大ヒット。
世界の至る所で、米国発信の世界向け<Too Sweet>は、世界中のリスナーの耳にタコができるくらい流れている…。
<Too Sweet>は、世界中を巻き込んでいる…。
彼の歌で、世界中の人たちも酔いしれている…。
心の奥底から人生を酔うことができない人が、世の中に溢れんばかりいるから売れる…。
彼のスタッフの笑顔がとてもいい…チームとして、皆が同じ方向を向いている…サウンドもいいが、そこが一番…。
<人生に酔っている>という彼独自の言い回し…。
何十年も前に、西海岸経由で、米国南部の総合病院に何度か赴く機会が何度かあった。
米国東海岸や東京のように、ビジネスライクな世界ではない。
ファミリーの雰囲気を感じ、心が暖まる。
その病院では、誰かゲストが来れば、全然関係のない人も含めてすぐさま何十人集まる。
とても大きいビールジョッキに特大のステーキで歓迎してくれる。
実はそうではなく、都合のいいキッカケに過ぎない。
瞬時に友人になってしまう…これ以上、楽しい表情はできない…。
私には絶対無理…
数kgは軽く超えそうな特大のステーキに、溢れんばかりの大ジョッキビールは、食べ切ることも飲み干すこともできない。
一人前を完全に食べきるには、少なくとも一週間はかかりそう…。
大騒ぎで隣の話し声が聞き取れないほど大盛況…どうしてこんなに楽しくはしゃぐことができるのか分からない。
彼らからすれば、表情をあまり出さない日本人を理解できない。
日本の居酒屋のおやじの愚痴とは次元が違う…。
テキサス州の州都にAustinという小さな街がある。
ラフな格好をした女性が、農家の小屋?で、現代とは思えない唄<Austin>を歌っている。
これも全米から世界に向けて流れている。
ムラ社会を抜け出して、LAに向かおうと恋人の彼と画策したが、彼が酔っぱらったのか、待っても来ないと怒りをぶつける唄である。
日本の昭和のチャブ台返しのような唄が、米国南部だからこそ存在する。
<Leave Before You Love Me>という曲も、これでもかと言うほど、世界を駆け巡っている。
私が注目したのは、You Tubeの冒頭の2,3秒。
高層ビルの谷間から、市街地を流れる川の上に高架橋があり、そこを電車が走っている。
それが夜景の一部として登場する。
高架鉄道と高層ビルのマッチングした夜景は、世界広しと言えども、シカゴ以外は考えられない。
シカゴは、妻殺しの疑いを晴らすために、逃亡を続ける医師の<逃亡者>の映画舞台でもある。
逃亡時に公衆電話を使ったとき、シカゴの鉄道音が、自分の居場所を教えてしまう。
サンフランシスコはさまざまな顔を持っている。
とくに夜景は多様…好み次第。
中心街のホテル最上階からの夜景もそのひとつ。
Oriental, America, Europeanの三つの異なる文化が絶妙に融合したサンフランシスコの街並みが夜景の中に美しく映える。
流れてくる音楽、視界に入って来る美しい夜景。
どれも捨てがたい。
一度でいいから、心地よく人生に酔ってみたい。
聴覚、視覚、味覚のどれでもいいから、酔いしれて人生を満喫した気分に浸りたいが…そうもいかない。