今からちょうど一年前。
今年同様に猛暑による炎天下の頃に、時間を巻き戻す。
ある仕事を終えて、白い壁沿いを歩いていた。
とても高くて大きな壁…White Wall。
俗世間から隔絶されている。
ある仕事のために出張。
いつもは私の診察室で仕事を行うが、そのときばかりは出張せざるを得ない。
診察室では行えない仕事。
歩いていると、とても冷やかな隙間風が、心の中をさっと走り去る。
「え、これって何?」と思いながら、吹き抜ける冷気に驚く。
非科学的であるが、生霊のようなものが、私の身体を突き抜けた?
瞬間的に身体が凍りつく。
数分後には、×◎線地下鉄の△駅に到着。
が、その後は何も起こらない。
今の仕事に従事していると、避けて通ることができない事態に遭遇する。
それから数か月後。
私は今、証言台に立っている。
「○×障害について説明してください」と尋ねられる。
教科書通りに簡潔に淡々と答える。
趣向を凝らし、専門用語を回避して、できるだけ比喩的に話をするように努めた。
そして、最大の山場を迎える。
「では、衝動性について教えてください」
ここが焦点に他ならないと自分勝手に思い込む。
衝動性と計画性の違いは決して小さくないからである。
私は、
「瞬間湯沸かし器です」
「昭和のオヤジが、突然、ちゃぶ台をひっくり返す光景をイメージしてください」
と即座に答えた。
私に質問した人が、やさしく人を包み込むような笑みを浮かべながら、小さく頷く。
一問一答の世界の渦中。
長話はダメ…回りくどいのも勿論ダメ。
だらだらとしゃべるのも禁忌…余計な言葉は要らない…単刀直入に要点のみ。
数時間に及んだが、無事終了。
旅先でレンタカーを借りると無意識にラジオをつけてしまう。
旅先でFM放送を聞くと、車を運転しながら、そのエリアの最たる特性を聴覚的に感じることができる。
地元の人のトークがそこに入ると、普段遭遇することのない世界に引き込まれる。
だから面白い。
車窓からも自然に視覚的な風景が次から次へと入って来る。
脳のなかで聴覚情報と視覚情報が統合し、予想できないイメージが完成する。
それもまた面白く、興味深い味わいがある。
最近、自宅でもラジオを聞くことがある。
その数カ月前の話。
ラジオを聞きたいなら、スマホのアプリさえあれば、ラジオを聞ける…とある知人の返答。
でも、あーそうか…スマホを持っていないよね。コンビニに売っているから、それを買えば早い。
徒歩一分もかからないところにコンビニがあり、買ってきてラジオをつけた。
すると、懐かしい昭和の歌が聞こえてくる。
確か<結婚するって本当ですか>という曲名。
半世紀前の昭和49年度の名曲のひとつ?
歌詞は、些細なことでけんか別れをしまったことを後悔し、今も帰りを待っている女性の心情を歌っている。
数十年前は、「自分の親を見ていると、全然楽しくない…家族を欲しいと思わなくなる。知らないうちに結婚したいとは全然思わなくなってしまった」という人が少なからずいた。
いや意外に多かったように思う。
自分の家族に悪いイメージしか持っていない。
他にも数多くのさまざまな理由があるように思う。
人それぞれのバックグランドがある。
が、少しずつ時代が変化している。
最近、増えているのは、人づきあいが嫌…面倒。
もし結婚したら<人づきあいが増えるから結構です>といいながらも、その一方で、インスタグラムなどのSNS系列の普及で承認欲求を満たしている。
実際は増えているように思えるが、そうではなく、はっきりと言葉にする人が増えたに過ぎないのかもしれない。
と言いながらも、<そばに誰かいないと淋しい>と真逆の、本音の一端を訴える人もいる。
一方通行?
現代の<結婚するって本当ですか>はとてもセンシティブ。
彼らの周囲の人たちは、結婚して大丈夫ですか?しないほうがいいかも?たぶん長続きしないと思う…と危惧しているが、心配していることを安易に口に出せない。
当人同士が「僕たち<結婚するって本当ですか>」と思っていることもある。
現実逃避…。
もし幸いにも結婚したいと思う人に巡り合えても、そういう人が目の前に現れたとしても、自分のセフティエリアに土足で入ってほしくない。
自在にハンドリングできる伴侶ならいいが、できない人はお断り。
気疲れはもうしたくない。
男性よりも女性なら、とくにそうかもしれない。
ようやく親元を離れ、田舎の村社会から脱した人もいる。
東京生まれでも、やっとの思いで一人暮らしを始めた人もいる。
二度と昔に戻りたくないと思う人は、物凄い数になるように思う。
ニューヨーク、パリのように、自分を知る人がまったくいない世界を望む人は意外に多い。
周りに気を使うことは一切ない。
自分のことを誰も知らない空間を求めて日本を離れる人もいる。
最近、言葉は難しいと思う。
昭和の<結婚するって本当ですか>と令和の<結婚するって本当ですか>は、同じ言葉でも、その言葉の持つ意味に微妙な変化を生じている。
同じ言葉であっても、取り様によって意味が異なる。
近未来の<結婚するって本当ですか>はどう変化するのだろうか?と思ってしまう。
ほんの少し楽しみであり、怖い側面もある。
私の場合、
スマホは当面要らない…人から見ると何かと不便に見えるかもしれないが、脳に休息をもたらすという貢献度は半端なく大きい。
余計なことを考えなくていい。
しかも、強迫性を刺激されなくていい。
見えるよりも見えないほうがいい。
聞こえるよりも聞こえないほうがいい。
知り過ぎるのもどうか…知らない方が幸せなこともある。
さまざまな感覚を遮断すると注意が散漫にならない。
結果、ある特定の感覚のみに注意を促すことができる…必然的にその感覚は磨かれ鋭くなる。
もしある感覚を鋭くしたければ、それ以外の感覚を完全にブロックすればいい。
感覚の遮断が手っ取り早い。
知識の集積があればいいとは、必ずしも限らない。
情報流入をそこそこに絶ち、特定のもののみに焦点を当てるのも案外悪くない。