辺り一面が、エメラルドグリーンの海で彩られているところはないようで、意外に多い。
知らないだけ…。
でも少し違う気がする…知られたくない気持ちも混在している。
人である以上、そういうこともある。
数学のように計算通りでは楽しくない…。
計算できないほうが、意外性があり、想定できない出会いに感動できる。
偶然の出会いを心置きなく楽しむ。
国内の南の方の、或る海岸。
令和五年大晦日。
あと半日で令和五年も終わる。
あっという間の一年。
車から降り、
「久しぶり…戻ってきました…」と私が言えば、
ある男性が、言葉を発しないが、笑いながら、いい笑顔で迎えてくれる。
彼といつも一緒にいる女性も、
「お帰りなさい」とあるひとりの女性が素敵な笑顔で、彼の笑顔と、ほぼ同じタイミングで返してくれる。
彼らの言葉と表情がシンクロしている…。
バーバルな言葉もいいが、ノンバーバルでも気持ちは十分に伝わってくる。
戻ってきた甲斐があったというもの。
彼らが何を言いたいかわかる。
最近は久しく行っていないが、
京阪神の定宿であれば、着物姿がとても似合うレセプションが、最高の笑顔で「おかえりやす」と自然な大阪弁で挨拶をしてくれる。
標準語で言えば、<お帰りなさい>である。
京都にも似た言葉があると聞く。
<おはようおかえりなさい>である。
早く帰ってきてねという意味らしい。
同じ京阪神でも、大阪の<おかえりやす>ではない。
最上階からの眺めは格別…。
しばし、そこで時間を止めてくつろぐ。
一年に一回あるかないかの、束の間の休息。
私の場合、観光でうろつくようなことはしないで、滞在するホテルから一歩も外に出ない。
頭の中の雑音を消し、癒しの時間を作れるかどうか…。
観光を主たる目的とする人や、言葉のキャッチボールで会話を楽しむ人には、私のような存在は全然面白くない。
何も言わないし、どこにもいかない…一緒にいてもいなくても同じ…空気のような存在。
目的がそもそも違うのだから当然。
今は浜辺であり、大阪や京都などの京阪神ではないが、まったく同じ感覚。
精神的にゆるめることができる場所であるかどうか?
そこが、もし緊張を強いられるような場所であれば、まったく意味がない。
浜辺では、風が吹けば、連絡を取り合わなくても、湧き出すかのように人が集まってくる。
約束などの面倒臭い作業を省ける。
言葉は要らない。
まさしくノンバーバルの世界。
一般的に、女性は、何らかの連絡が途絶えると終わったと考える。
ライン等で、返事が来ないと無視されたと解釈?
その通り、終わりのこともあるが、心のなかの不安が投影される。
が、そうでないときもある。
とてもマメな男性であればいいが、そうでない場合、分かりあえないこともある。
不安を溢れんばかり抱えているのが女性であり、そういう女性の気持ちを読めないのが普通の男性。
不安や緊張がとても強い女性ほど、自分に不安を抱かせない、コントロールしやすい男性の臭いを嗅ぎ分けるのが上手い。
優しくて面倒見のいい、男のお子さんを持つ人は、持っていかれる。
眼に見えない糸で、一本釣り。
その類の男女が揃ってクリニックにやってくる。
眼に見えないリードを男性の首につけ、引っ張ってやってくる。
ときにはその反対もあるから面白い。
言葉があれば、確かにコミュニケーションが取りやすい。
裏のある微妙な<おもてなし>重視の言葉は、混乱を招くが、その一方で日本人特有の<おもてなし>は貴重。
日本人のおもてなしに隠された<嘘の世界>を理解できない欧米人は、そのおもてなしに単純に感動する。
来年の大晦日に、ここに戻って来れるかどうかは不明。
海辺から見える橋、数キロ先の半島の景色などを忘れないように…。
海上から浜辺に戻り、
ウエットスーツを脱ぎ、帰り支度ができた。
来年も、いや一年以内に戻ってくるからと約束したいが、できない。
一年後になれば、身体に滲み込ませた感覚の一部が損なわれ、消えてなくなることがある。
頭の中に焼き付いた景色だけは忘れないようにしたい。
昨年の大晦日に引き続き、最上階のバーに行く。
今年は、ピアノの生演奏と女性のシンガーの二人が、そこでカウントダウンするらしい。
令和六年を迎える数分前から、彼らは演奏しながら、歌いながら、横目でちらちらと時計を眺めている。
明日、令和六年の元旦から、未曾有の悲惨な事件が連続して起きることは誰も知り得ない…令和五年の大晦日。