Antonym『アントニム』という言葉がある。
聞き慣れない英語である…聞き慣れているほうが変?…そもそも使う機会がない。
日本語訳は、対義語とか反対語と訳される。
<高い>に対して<低い>、<明るい>に対して<暗い>といった具合。
誰でも無意識に使っている。
真っ向から話し相手に反論するときにも使う。
Antonym『アントニム』という用語は、「私はそういう言葉を知らない…聞いたことがない」「私には関係ない…まったく意味をなさない」「どうでもいい」という人も数多くいるように思う。
それがごく普通。
濫用は危険…。
私の場合、Antonym『アントニム』は、人の心を理解する、推測する際にとても重宝する用語である。
何かを考えるとき、発想法のひとつとして、言葉の意味の反対語、Antonym『アントニム』を模索する癖を身に着けておくと何かと便利なこともある。
ただし、度が過ぎると天邪鬼(あまのじゃく)とみなされ浮くので注意も必要。
何かの文章を考えるとき、何かの発言をするとき、あえて真逆のことを行えば、周囲は「えっ?」と思う。
周囲の人たちを惹きつける効果もある。
物理学のなかに、誰でも知っている、作用・反作用という基本中の<キ>の法則がある。
私は物理の専門家ではないが、作用・反作用という現象は痛快。
物体に働く力は、常に二つの物体の間で力を及ぼし合う。
作用と反作用の両方をセットで考えないといけない。
朝、込み合う電車の中、押されても押し返して、平衡関係を維持している。
書籍のなかに<光と影>という小見出しをよくみかける。
とてもわかりやすくイメージしやすい比喩である。
物理学のなかにも、<光と影>はある。
タワーマンションは太陽の光を燦々と浴びるが、そのおかげでそれ相応の影もできる。
江戸時代のように平屋が普通の時代には、家に塀でも創らないと影ができない。
城主クラスになれば、話は別かもしれない。
物理学の<作用と反作用>、文学の<光と影>のいずれもAntonym『アントニム』の関係にある。
人の心も同様。
誰かが何かを感じるということは、直ちに特定できないとしても、どこかにその原因がある。
精神現象の多くは、作用・反作用のセットで考えるとわかりやすくなる。
人の心の動きも、単独で起きることはあり得ない。
私が勝手に泣いているだけ…私が一人で怒っているだけのように見えても、もしそれが反作用と考えれば、その源の主作用が、必ずどこかに存在する。
その原因となるものが隠れている。
見えないだけ…。
表に顕在化している、あるいは目の前に見えるもののみを議論しても仕方ない。
その原因である主作用の正体が一体何か?
以上は、最もシンプルな心の作用・反作用の話。
もうひとつ考えないといけない。
現実の社会では、数えきれない複雑な対人関係がある。
作用・反作用があちこちに発生し、微妙に絡み合う。
二人以上の人間がいれば、作用・反作用の関係はそこに生まれる。
もしAさんとBさんに加えて、Cさんがそこに入れば、三者の関係性になる。
例えば、AさんとBさんが結婚し、子供であるCさんが生まれた場合も同じ…。
子どもが生まれ、二者関係が三者関係になり、新たな世界が生じる。
育児などの育て方を始め、意見がAさんとBさんで大きく食い違い、結婚後初めて見解の相違の大きさに気付く。どちらかが我慢して全面的に従えば、話は違うかもしれないが…。
ある部署に異動があり、たった一人入れ替わるだけでも異なる力学関係が生まれる。
二人であれば親しい友達関係であっても、そこに一人入ると三者関係になり、これまでに見えなかった作用・反作用の力学関係が露呈する。
人の心も作用・反作用は必発。
毎日、目の当たりにしている現象に、ほんの少し角度をつけて、力学的に述べたに過ぎない。