

人はときどき、<運>という言葉を口にする。意味を求めず、ただ空気のように。
本物の<運>は、言葉よりも静かだ。
気づかぬうちに近づき、ふとした瞬間にだけ、その影を落とす。
だが、本物の<運>は、そんな軽い言葉の衣をまとって現れはしない。
人生のどこかで、ふと風向きが変わる瞬間。
そのとき初めて、人は自分の歩いてきた道の“布石”を思い出す。
私の身近には、十年先、二十年先を見越して、静かに種を置く人がいる。芽が出るまで待ち、花が咲くまで待ち、散るまで見届ける人だ。その忍耐は、運を呼び込むための、ほとんど祈りに近い所作である。
人生は囲碁に似ている。
序盤の一手が、中終盤の窮地を決める。
布石を怠れば、どれほど読みを尽くしても、盤面は静かに敗北へ傾いていく。
布石の意味は、布石を置いたときには分からない。

種をまかずに、運だけが訪れることは少ない。
結果とは、長い時間をかけて育つ影のようなもの。
思いがけない出会いが、静かに扉を開けることもある。
そのとき、人は気づく。あれは偶然ではなく、自分が知らぬ間に置いてきた“布石”の延長線上にあったものであると。

人が持つ美しさもまた、運という言葉で片付けることはできない。
長い年月の中で育まれた“流れ”の上にある。
誰の人生にも、その人だけの布石が、静かに息づいている。

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